換気扇の音まで一緒に覚えられた話——祖母の方言を音声クローンで残そうとして失敗した記録

出てきた声を一言で表すなら、「風邪をひいて、飴玉を頬張りながら、トンネルの中で喋っているおばあちゃん」だった。

2年前の冬、実家の台所で録った祖母の声を、そのまま音声クローンに放り込んだ結果である。換気扇は回りっぱなし、鍋はぐつぐつ、窓の外では軽トラのスピーカーが「古い冷蔵庫ありませんかー」と繰り返していた。今思えば、最悪のスタジオだ。

祖母は宮城の沿岸部の生まれで、話すのは「んだ」「おら」の東北弁。若い世代でこの喋り方ができる人は、もうほとんどいない。だから元気なうちに声を残して、お盆に家族で聞ける「音声の手紙」にしようと考えた。我ながらロマンチックなつもりだった。

結果は、盛大な失敗。しかも3回やらかした。同じ轍を踏む人が少しでも減ればいいので、全部書いておく。

まず疑うべきは、ツールじゃなくて素材

最初の反応は、たぶん誰でも同じだ。「このツールがダメなんだろう」と思って、次々に乗り換える。

ブラウザで動く無料の音声クローン、アプリ版、オンラインで音声クローンできるサービス、有料のもの——片っ端から試した。だが、どれも同じ「トンネル臭」がする。

そこでようやく気づいた。モデルは悪くない。悪いのは、僕が食わせた30分の音声だ。

その30分の中で、祖母の声が占めていたのは3割くらい。残り7割は換気扇、鍋の煮える音、遠くの犬、そしてタイルの壁に跳ね返る残響だった。AIは素直なので、換気扇の音まで「おばあちゃんの一部」として学習してしまう。

振り返ると、失敗は3つ。しかも1つずつ酷くなっていく

失敗1:台所で録った

台所は家の中でいちばん残響がきつい場所だ。硬いタイル、ガラス窓、金属の鍋。音がそこら中で跳ね返る。方言は声調の細かいニュアンスでできているのに、残響が乗るとその起伏が全部なだらかになる。

正解は、静かな寝室。窓を閉めて、カーテンを引いて、ベッドに毛布を1枚かぶせる。これだけで台所とは別世界になる。

失敗2:原稿を読ませた

自分で書いた手紙を印刷して、祖母に「読んで」と渡した。すると、どうでしょう。一字ずつ区切って、小学校の音読みたいに棒読みになる。方言は、そんなふうに喋らない。

普段、隣の家のおばさんと喋っているときの、あの繋がり方、飲み込む音、伸びる語尾。原稿を読むと全部消える。だからクローンされた声も、やけに「標準語っぽく」なって、祖母らしさが抜け落ちた。

失敗3:長ければ安心だと思っていた

30分録ったから大丈夫、と根拠なく思っていた。実際に使えるクリーンな部分は10分もなかった。しかもスマホをコンロの脇に置いていたので、近づいたり離れたり、音量がふらふら。こんな素材では、モデルは輪郭しか掴めない。

撮り直しの日にやったこと

1週間後、姉の家の北向きの小部屋を借りて、仕切り直した。

  • スマホは三脚に固定。口から20センチ、動かさない
  • 窓とエアコンを切り、カーテンを閉め、機内モードに
  • 原稿は禁止。「子どもの頃、お正月は何してた?」「お母さんはどんなふうに怒った?」と僕が質問する形に
  • 1回5〜8分。録った直後に必ず聞き返して、ノイズがあれば消して撮り直す
  • トータル20分ほどのクリーン素材を、4回に分けて録り切った

ついでに、手紙のテキストを先にテキスト読み上げで無料で聴いてみた。無料TTSなら何度試してもタダなので、試行錯誤のコストがゼロ。これが地味に効いた。「んだねぇ」「おお、そうか」みたいな相槌がどこに入るかで、文章の温度がまるで変わる。

本番の合成は、20分の素材をアップロードして数分待つだけ。最初の一文が出てきたとき、隣で聞いていた姉が黙り込んだ。

「◯◯だべな」——語尾がすっと沈んで、少し掠れている。あの声だった。

音声の手紙ができてから

全体を26の段落に分けて、1段落につき1〜2文。祖母の子ども時代から、僕を育ててくれた話まで。

段落数が増えると、途中で止まらないことのほうが大事になってくる。生成が半分で詰まると、かなり心が折れるので。僕が使ったところは登録不要の音声合成で、開いてすぐ使えた。いわゆる「音声クローン ソフト 無料版」を何本もPCに入れる手間がなくて助かった。登録不要というのは、姉にも優しい。姉のパソコンには何も入っていないけど、ページを開くだけで始められた。

ひとつ言っておくと、「完璧な音質」は目指さないほうがいい。息遣いや、ほんの少しの唾液の音が残っているほうが、むしろ本物らしく聞こえる。きれいすぎると、アナウンサーになってしまう。おばあちゃんじゃなくなる。

それと、家族の声をクローンするときの同意は絶対に取ってほしい。祖母には録音前にちゃんと説明して、承諾してもらった。他人の声を無断でクローンして動画ナレーションをAIで作るとか、親戚を装って電話をかけるとか、そういう使い方は論外だ。声はその人のものだし、日本でも声そのものの権利をめぐる議論は年々進んでいる。

よくある質問

もう雑音まみれの素材を録ってしまった。救える?

少しは救える。無料のAI音声ツールについているノイズ除去を通すか、編集ソフトで明らかに汚い部分を切って、きれいな断片だけ残す。ただし、きれいな部分が3分を切るなら撮り直しを勧める。撮り直しは2時間で終わるが、修復は2週間かかっても終わらないことがある。

方言のクローンと標準語のクローンで、難易度は違う?

違う。理由はデータ量だ。標準語はモデルが山ほど見ている。方言は、特に地域の限られた言葉は、圧倒的に少ない。だから素材の質に敏感で、渡す1秒1秒が「純粋」じゃないといけない。加えて方言の声調は複雑で、標準語に存在しない音の高さの動きもある。モデルが掴むにはサンプルが要る。原稿を読ませるより、普段の会話を長く録るほうが100倍いい。

無料のツールでどこまでできる?

何を求めるかによる。家族向けの音声の手紙、動画ナレーションをAIで作る、ちょっとした吹き替えAIを無料で試す——このあたりは全然いける。オンラインの無料音声クローンの精度は、正直僕の想像を超えていた。まとめて作りたいなら、無料の音声合成APIにテキストを流し込めば、数十段落でも順番に処理してくれる。オーディオブックの音声作成を個人でやる人にも、たぶん十分だ。多言語の音声合成も無料で試せる時代なので、自分の声をクローンして語学教材を作る、なんて使い方も面白い。ただ、商用の方言吹き替えや、長文を安定して出し続ける必要がある案件なら、専門の有料プランを考えたほうがいい。

待たないでほしい

祖母は一昨年の春に亡くなった。

あの音声の手紙は、今もスマホの中とクラウドに置いてある。今年のお盆に家族で流したら、母は泣いて、姪は「これ、誰が喋ってるの?」と不思議そうな顔をしていた。

姪には通じない。でも、いい。もう少し大きくなったら教えるつもりだ。これは曾おばあちゃんの声で、曾おばあちゃんの故郷の言葉なんだよ、と。

もしあなたの家にも、そういうお年寄りがいるなら。エアコンを切って、スマホを三脚に載せて、「子どもの頃、お正月って何してた?」と聞いてみてほしい。あとは道具に任せればいい。録音から合成までの手順はこちらにまとめてある。