深夜0時を回ったところで、スマホが震えた。友人から8秒のボイスメッセージが届いた。落ち着いた女性の声が商品の説明を読んでいて、途中でふっと息を継ぐ。その直後、「これ、声優さんに頼んだやつだよね?」とテキストが来た。
違う。無料の音声クローンで作った。文字を貼り付けてから2分もかかっていない。
既読がついて、数秒の沈黙。返ってきたのは、まったく予想していなかった質問だった。
「書き出すときって、MP3とWAVどっち選んでる?」
……正直、これ、「本人っぽい?」より答えるのが難しい。
なぜフォーマットの話になったのか
友人はECの商品ページを作っている。いま、Amazonや楽天向けに商品説明の音声をまとめて用意している最中だった。
以前は外注していたらしい。30秒で5,000円、修正は1回ごとに追加料金。それが、オンラインのテキスト読み上げを一度見せただけで彼は固まった。ソフトを入れる必要もない、アカウント登録もいらない、テキストを貼れば声が出る。彼は3回確認してきた。「本当に無料のまま使えるの?」
気持ちはわかる。この数年、「音声クローン 無料」の看板を掲げたツールを片っ端から試してきた。ほとんどが無料枠を使い切った瞬間に課金画面、あるいは書き出しに透かしが入る。登録不要の音声合成で、しかも回数制限がないものは、確かに多くない。
で、いざ自分でやる段になって詰まったのが、最後の書き出し画面だった。テキストを入れて、生成して、さあ保存というところでMP3とWAVが並んでいる。ここで適当に選んで、それまでの仕上がりを台無しにする人が多い。もったいない話だ。
MP3とWAVの差は「音の良し悪し」じゃない
誤解を潰しておく。
WAVは「高音質」なのではない。「圧縮していないだけ」だ。MP3も「低音質」ではなく、「賢く圧縮している」。RAWとJPEGの関係に近い。優劣ではなく、用途の違い。
WAVは元のサンプルデータをそのまま抱えているので、ファイルがえらいことになる。44.1kHz/16bitで1分だと、だいたい10MB前後。同じ長さのMP3は128kbpsで1MB程度、320kbpsでも2.4MBくらい。
じゃあ増えた容量で何を買っているのか。買っているのは「編集できる余地」だ。ノイズ除去、速度変更、ミックス、つなぎ合わせ——あとで編集ソフトに放り込むなら、WAVは何度こねても耐える。MP3は書き出すたびに少しずつ削れる。3回も切り貼りすると、サ行がざらついてくる。
逆に、音声をショート動画やLINE、Webのプレイヤーに放り込むだけなら、10MBのWAVはただの重りだ。どうせプラットフォーム側で再圧縮される。手間が増えるだけで、何も得しない。
自分の使い分け
何年かコンテンツを作ってきて、ほぼ条件反射になっている。
- 編集ソフトで二次加工するもの → WAV
- そのまま納品・共有・投稿するもの → MP3 320kbps
- 迷ったら → 先にWAVで保存しておいて、必要になったらMP3に変換
3つ目は失敗してから足した。ある案件でMP3を納品したら、「BGMを少し下げたい」と言われ、そのMP3を再度編集にかけたら声が明らかにこもった。結局、生成からやり直し。それ以来、源流は無圧縮で残すと決めている。
オーディオブックの音声作成を手伝ったときも同じで、WAVで通しで書き出してから配信用にMP3へ変換した。動画の吹き替えをAIで無料でやる場合も、元の音声と混ぜるならWAV一択だ。混ぜてから圧縮すると、あとで取り返しがつかない。
ついでに書いておくと、AI音声でナレーションを作るなら「1回の生成で両方の形式を保存」が一番楽だ。回数制限のないテキスト読み上げなら、同じ原稿をもう一度走らせるのに数十秒しかかからない。容量をケチって賭けに出る理由がない。
プログラムに組み込んでバッチ処理する予定があるなら、なおさら源流は無損で残したい。APIから呼び出してWAVでそのまま保存しておけば、あとから何をするにも困らない。多言語の音声合成を無料で回して海外向けの動画を作る、なんて使い方をするときも、この一手間が効く。
ひとつだけ。他人の声を勝手にクローンするのはやめておこう。声優の声、友人の声、ましてや著名人の声。規約の面でも法的にも、ほぼ詰んでいる。自分の声をクローンするか、権利処理が済んだ音源だけを使うのが前提だ。
よく聞かれること
MP3だとAIっぽく聞こえる?
聞こえない。というか、フォーマットは関係ない。音声が不自然に感じるときは、たいてい改行や句読点の位置がおかしいか、内容と声質が噛み合っていない。バラエティ調の文章をニュース読みのトーンで読ませたら、そりゃ浮く。無料のAI音声も無料TTSも、自然さはとっくに「一聴きで偽物」の段階を抜けている。スマホのスピーカーで聞く分には、MP3とWAVの差はまずわからない。
ショート動画用にWAVを書き出すと重すぎる?
重い。TikTokもYouTubeショートも、アップロード容量には暗黙の上限があるし、最終的にAACあたりに変換される。WAVを上げても同じ結末。ショート動画は素直にMP3でいい。
書き出したファイルはあとから編集できる?
できる。ただしMP3は触るたびに劣化する。前後の無音を切るくらいなら問題ない。速度やピッチを変える、ノイズを取る、となったら音声クローンのページに戻ってWAVを作り直したほうが早い。登録不要でオンラインの音声クローンが使える利点はここで、やり直しのコストがほぼゼロなのだ。
それで、実際どうするか
友人にはこう返した。「WAVで1本アーカイブしておいて、そこからMP3 320kbpsを作って納品」。彼は「そんな差、わかるのか」と食い下がってきた。わからない、と答えた。でも3か月後に原稿を直すとき、違いが効いてくる。
同じところで止まっているなら、画面の前で考え込まないでほしい。30秒くらいのテキストを無料のテキスト読み上げで2回生成する。1回はMP3、1回はWAV。イヤホンで聞き比べて、編集ソフトに放り込んで1回切る。5分で済む。記事を10本読むより効く。
他のチュートリアルも覗いてみてほしい。踏んだ穴はだいたい先に埋めてある。